大 忌 祭(おおいみさい)

 
社記によると創建は崇神天皇九年(2千数年前)で、日本書紀には天武天皇四年(千三百年前)より大忌祭が始まったことが伝えらています。この、日本書紀に記されている大忌祭は、国の恒例祭として毎年四月四日と七月四日に五位以上の王臣各一人と神祇官六位以下一人が使いとして派遣される祭で、平常は官庫に保管されている神庫の轣iじょう)、匙(かぎ)を請け取り大忌祭を行い、終わるとそれらを返納することが当時の祭祀規則によって規定されていたほど重要な祭りでした。

大忌祭が四月四日、七月四日に分けて行われる理由として、四月は田植え前の時期で稲の成長に必要な水が、梅雨の時に過不足なく降ることを願い、七月は収穫前の時期に当たり、台風がそろそろ押し寄せる頃で、風で稲が倒れたり、水がついて田畑を荒らすことがないように願うためであります。
大忌祭の行事として、御田植水口祭礼と水府舞(みくらのまい)があったことが記録に残されています。水府舞(みくらのまい)は、祈雨を願う神楽舞であった事が記されているが現在は伝わっていない。しかし御田植の水口祭礼は現在御田植祭(砂かけ祭)と名を変え、毎年二月十一日に神社の重要な祭りとして行われている。


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